子供を手放す勇気

ライフプランの監修をする仕事をしておりますと、多くの親御さんが「教育の難しさ」について語り掛けて下さいます。そして同時に「どう教育すべきでしょうか」という質問を多々受けます。私は率直にこの様に語り掛ける事があります。

それは「自分自身が教育者として未熟であり、それは人としての未熟であるとう事が根源にあるという事を認める勇気を持つ事が大切です。」という趣旨の言葉です。

親として十分に機能していないのであれば、お金と時間の許す限り「他人(教育のプロ)に教育の一部を託す」という勇気も大切です。そして、その教育のプロがどの様に「子育て」をしているのかを見つつ、かつ子供の成長ぶりから「親としての在り方」について学ぶ事もまた、教育にとって大切な事だと考えます。

私にとっての教育

多くの教育者は「従う人間」を育てるのが大好きです。これは親という立場を筆頭として「この様になってもらいたい」という私情を常に子供達に注ぎ続けている。それは時に、子供達にとって悲惨な未来に始まりになってしまう事も多々あります。それは家庭だけでなく「学校」や「組織」でも同じ事が言えます。

私にとって教育とは「従う人間」を育成する事ではありません。それに「自分の思想に染める」事でもありません。簡単に言えば「自分より仕事が出来る人間」を育てる事に意味があると思います。だからこそ、多くを語らず、ただただ「気付き」のキッカケを提供する事に私は大きな意味があると感じるのです。

一般的な「親」「学校の先生」「上司」「先輩」は「〇〇しなさい」と命令ばかりを出して、創造力を育成しようとしない。これは日本という国に「民主主義」が定着しなかった事の根源(理由の一つ)でもあると私は考えています。

誕生日月に当たり

毎年、誕生日月には「ご挨拶」を書いておりますが、本年も長文にはなりますが、お時間がある時にお読み頂ければ幸いでございます。まず2022年を振り返ります時、新型コロナウイルス、そして様々な争い事や天災等により、悲しむべき出来事に遭遇する事が多い年でもございました。お心を痛めておられる皆様を思います時、私の自身の胸もまた誠に痛み、あたらめて「平和な日常」の尊さを痛感しております。一日も早く「日常の平和」が取り戻せます様にと心から願っております。

f:id:masashihoshikawa:20221226114533j:image

また、そういった中で「大規模ワクチン接種会場」において「医療従事者」として接種会場で部分的にではございますが、私自身が勤務出来ました事は「国防の最前線」での貢献の一つとして感慨誠に深い出来事の一つでした。コロナで混乱する中、多くの不安を抱えた数多の人々が接種会場に行列を成しておりました。まさに接種会場内は「混乱」に近い状況下で、日々、何百、何千という接種をこなしていく医療従事者への敬意を深められた経験となりました。国を守るという事の本当の意味を身に染みて感じる事が出来ました。

f:id:masashihoshikawa:20221226114513j:image

そして本年もまた全国各地の教育機関(講話)や福祉施設訪問、そして慰霊の旅を続ける事となりました。総じて「17都道府県」を訪問し「10ヵ国」への外国訪問がございました。総移動距離は「125,691キロ」でございました。地球を3.13週した計算になります。各地、各国ではそれぞれの素晴らしい伝統文化や習慣があり、これからも末長くその地に根付いた尊い歴史が大切に守られ、保存されていく事を心から願っております。地方訪問、海外訪問に際し、尽力して下さった各分野の皆様に心から感謝の気持ちでいっぱいでございます。

f:id:masashihoshikawa:20221226114632j:image

そして関係者の皆様には「ご心配」と「ご迷惑」をおかけしましたが、救急車での緊急搬送に伴う2週間の入院がございました。現在は、だいぶ回復をしており元気に過ごしております。入院とは喜ばしい事ではございませんが、やはり若き日々からの「ライフプラン対策」の効果があり、万が一の際も何一つ困る事無く、入院から退院に至りました。過去の自分から救われる人生の大切さを改めて体感出来た出来事でございました。入院に際し対応して下さった関係者の皆様に心から感謝申し上げます。

f:id:masashihoshikawa:20221226114644j:image

そして誕生日月を迎えました。皆様からの「プレゼント等」のご配慮を避けるために、正式な誕生日を公表しておりませんが、それでも誕生日月という事で各方面から「祝意」を頂いている事に身の引き締まる想いが致します。祖母が無くなる直前に「雅は私が育てたのよ」と周囲に自慢していたという話を耳にしまして、今まで私の教育に携わってきて下さった皆様に恥じぬ生き方をこれからも心がけていきたいと思います。

f:id:masashihoshikawa:20221226114700j:image

私と関わって下さっている皆様から「星川さんの知り合いなの」「星川さんと会った事があるのよ」と自慢して頂けるような、そんな更に磨きをかけた人生になる様に、これからも日々自らを厳しく戒めつつ過ごして参りたいと存じます。この機会に、世界の平和と皆さんのご健康と幸せを心から祈念し、くる年が皆さんにとり幸せで実り多い年になります様、心から願っております。どうか、良い年の瀬をお過ごし下さい。

皆様への感謝の気持ちが大きすぎて
もはや言葉として表現出来ない程です
どうもありがとうございます

格言は如何にして生まれるか

友人の言葉を借りれば「星川は格言の人」と表現されるそうです。皆さんの子存じの通り、私は日々文章を書き綴る事によって、多方面から「広告料」「原稿料」等々という形で報酬が入ってきます。なので私が「書く」事を止める事が出来ないのです。所謂、私の言葉は「商品」として扱われているから。

また友人の言葉を借りれば「どうしたら毎日、そんなにポンポンと言葉が出てくるのか」という質問ですが。実は私自身も分かりません。朝起きた瞬間、散歩をしている瞬間、飛行機に乗っている瞬間、色んな瞬間にアイデアは出てきて、原稿は一日当たり30候補くらい出現し、だいたい2~3個の原稿にまとめて、毎日、毎日書き綴り、様々な場所で公表されています。

 

原稿(スピーチ)を書き綴るに当たり大切にしている事は、絶対に誰かの影響を受けないという事です。例えば私は読書を一切しません。何故なら、読書をすればするほど「他人の言葉使い」「思想」が頭の中で感化されていくからです。しかしながら、世の中には「読書を沢山しました自慢」をする方も多いのも事実です。

 

それは「自分自身に自信が無い」から、読書をする事によって「自分は強く(賢く)なったんだよ」「誰かよりも一歩先に進んだんよ」という弱い人間によるプライド合戦の一つにしなかならないのです。しかし誰かのコピーをして生きる事ほど、情けない事はありません。自分自身の魂から、自分自身の言葉で書き綴る文章の尊さ。

 

だからこそヒットするのだと思います。ありふれた事をただ並べる事は誰でも出来ます。しかしながら、誰もが使わない様な表現や言い回しが人々の心に感動を与え、そしてそれが「資産」となっていくのだと私は思います。では、どうやってそれを学べばいいのか。その力を身に着けさせるのは100%「育てた大人の責任」である事は言うまでもありません。

家族(組織)と言う呪縛

何もしないという事ほど体力を使う事はありません。それは「子育て」においても同様です。日本では「進路」を決めようとする時、多くの場合「親の承諾」や「親への相談」(または親に準ずる存在・学校や組織等)を必要とします。よって、日本の場合は就職・転職するにしても必ず「親が」「家族が」「職場が」「人間関係が」という言葉が念頭に付きまとって、それらの呪縛が進路選択の自由をはく奪していっているのです。

私の親の功績の一つに「何も口出さなかった」という功績があります。勿論、私の親も大切な子供を持つ親として「アドバイス」「助言」「希望等」を沢山言いたかったと思いますが、私の親はそれを堪えて、一番体力を使う「何も口出さない」という教育方法で最後まで貫き通しました。如何に親としては辛かったかと日々かと思います。

 

子育てにおいて「口出す」「面倒を見る」「影響を与える」という事ほど、体力を使わず簡単な事はありません。しかし親が楽な道を選べば、子供は未来に「自主自立」をする事が出来なくなり、結果「生涯年収」「幸福度」にも大きな影響を及ぼします。

 

親と言う漢字を見る時「立つ」「木を」「見る」という三つの漢字に分ける事が出来ます。この漢字の意味を辞書でしっかりと調べれば、きっと子育ての真髄が見えてくるのではないでしょうか。指摘するのは簡単な事です。しかし指摘をせずに子供を「あるべき姿」に育てる事が出来るスキルが無ければ「教育者」を名乗ってはいけないのです。

 

子育ては未来への責任です

日本は愛国心が薄い国

日本では「何かあったら頼れるのは家族でしょ」という、魔法の言葉が横行しています。そして、家族だけでなく、組織や学校単位での自己満足の楽しみを追求し続けていて、国全体や国民生活に対する「愛国心」が、欠落していった国の一つです。

f:id:masashihoshikawa:20221219092254j:image

なので日本では、多くの親が子の進路に口出しをし、何かあれば無償で実家に受け入れて甘やかす。結局は、子供達の進路選択の自由を狭め、国益にも繋がらない事を「家族だから」という損得勘定で、思想統制をしている特殊なお国柄です。

f:id:masashihoshikawa:20221219092321j:image

では誰が国の事を守る事が出来るのか。だいたいの組織は自己満足の社会貢献を見出して、自らの組織の利益や忖度、そして売名行為までに使われます。そうならない為には、一人一人が今やっている事が「本当に国益に繋がっているのか」との鋭い問題意識を持つ必要があります。

f:id:masashihoshikawa:20221219092309j:image

しかし多くの場合、強い洗脳によって問題意識を持たせないようにマインドコントロールされていますから、目を覚ますキッカケに出会える事が、とても大切であると私は考えます。愛する祖国の未来を想って

先日、訪問していたケアンズの朝日より

自分らしさを消させる日本

私は日本の大通りで歩きながら歌を歌っていました。車の交通量が多くて、それらの騒音から、どんなに歌っても誰にも迷惑がかからない場所だったからです。そうしたら、すれ違っていった見知らぬ子供が「ママ、あそこに変な人がいるよ。外で歌を歌ってる。」と悪気もなく言っていました。

f:id:masashihoshikawa:20221215155416j:image

それはイコール、親やその子の育成環境の中で「外で歌は歌わないもの」と感化教育をしている、という事になります。私は海外での生活が長いので「島国だから仕方ない」と知っていますから、そのまま歌い続けながら歩いたのですが笑。

でも家庭や学校、職場などで、こんな事を言われたら、二度と人前で歌を歌わない閉鎖的な子供に育ち、子供は自分らしさを失ってしまうのだと私はとても残念に思いました。本当に日本は自分らしさを失わせ、組織の風土に合わせる事が美学として思想統制流通をしてしまっています。

海外では街中で歌ったり、鼻歌をしている人は、たくさんいます。別に人から何を言われても、法律やルールをしっかりと守っていたら、自分らしさを失わせる必要も、自分を押し殺す必要もないのです。

子供を見れば親が見えます
親を見れば国が見えます
故に教育は重要なのです

英語がカッコいい洗脳

日本では英語が話せる人が素晴らしいとの考え方が一般的とされています。故に、自分の評価を上げる為に、英語圏への派遣や勤務、留学を巧みに利用する日本人が多い傾向にあります。

f:id:masashihoshikawa:20221210131124j:image

でも私は英語が出来ません。人生において単語帳すら開いた事はありません。私の不完全な英語は、小さい時に親が終えてくれた英語と、海外訪問の際に様々な会話からリスニングで聞き取って覚えたものであって、話せても書けない単語ばかりです。でも私は英語が出来ない私自身をカッコ悪いとは思いません。

 

何故なら、英語よりも世界一難しいとされている「日本語」を上手に使えた方が市場価値が高いと考えているからです。誰も使えないし使わない日本語における表現力は「知的財産」となって時が過ぎるだけで資産を日々増幅させます。

 

ハワイの大規模火山の影響により、ハワイでは夕焼けも驚くほど綺麗です。私が日々撮影する写真ですら知的財産として経済は回ります。何もしない事ほど、知恵を使う事はありませんが、逆に言えば必死に働いて、国の労働生産性を下げるよりかは、よっぽどなのかと私は感じています。

何回、意味の無い事を言い続ける?

100回暴言を吐いても、100回意味の無い言葉を告げても、100回自己満足なスピーチをしても、何も変わらない事ばかりで世の中溢れてる。

f:id:masashihoshikawa:20221210130932j:image

でも意味のある「たった一言」で全ては変わる。でもその運命の一言が簡単に思い付かないから、人は苦労をし、争い、時に命を奪い合う。

 

だから子供達には「その一言」を創造出来る様に育ってもらいたい。言葉より優る平和はないって事を。平和だけだなく、その一言に莫大な資産価値も生み出すという事を。

妬まれる事は良い事だと思います

今日、某企業から連絡が入り「星川様に関して苦情が入った」との連絡を受けました。その担当者も苦笑をしながら「やれやれ」という雰囲気で私に報告をして下さったのですが「某クレーマーが、星川のSNSを見て星川だけ特別扱いを受けているのでは?不公平では?」という風に苦情を入れてきたそうなんです。

私は思います。企業は「差別」をしているのではありません。ただコンプライアンス厳守しつつも「区別」をしているだけだと。企業担当者は私の身の安全を心配して、詳細を教えて頂いたのですが私は「妬まれるという事は、かえって喜ばしい事だ」という風に回答をしました。その理由は私の中では明確です。

私のSNSを見て「クソ」と思う方もいるのと並行して「星川の様な生活をしたい」と前向きな「労働意欲」に繋げられる方もいらっしゃるからです。労働意欲が上がれば、国家全体の「労働生産性」が上がっていきます。つまり「羨ましい」とか「妬み」という感情は、国家繁栄の源泉であると私は考えているので私は良い苦情だなと思いました。

ただしそれが戦争に繋がる事は

私は望んではおりません

人の契約書を見て愕然とする事も

皆さんご存じの通り世界は「搾取する側」と「搾取される側」に分かれます。こう表現すると「搾取される側を目指したい」と思われる方が多いかと思いますが、これは限りなく不可能に近い話です。何故なら、この関係性が維持されているからこそ世界の経済は回り続けているからです。私達は不変の事実と向き合う必要があります。

 

しかしながら「搾取される額」を

減らす努力をする事は可能です

 

私は今まで仕事から、様々な「契約書」に目を通してきました。その契約書を見る度に「どうしてもっと営業担当者の言動を分析せずに契約をしたのかな?」「いとも簡単に騙されすぎなのでは?」と内心思ってしまう契約内容ばかりです。

そして契約後、人は自己防衛反応から「この契約をしてよかった」と思い込む努力をしてしまいがちですが「探求心」を最後まで失ってはいけません。常に昨日の自らの言動に対する、疑問と疑いの目を持って生きるからこそ、自らの未来への責任と保障を得られるのです。

学校か、経費削減か

本の学校は親にとっても「休ませる事」はとてもハードルが高いのが現状です。特に、私が小さい頃は、先生や学校にはまだ「威圧的存在」として名残があった時代ですから「家族旅行に行くので一週間休ませます」なんて担任に口が裂けて言えない時代でした。

しかし父は経営者でしたので、バケーションを取ろうと思えば、いつでも取れる父でした。小さい時、旅行のパンフレットを一緒に見に行った事を今でもよく覚えています。パンフレットには「出発日」によって旅行代金が設定されており、土日をはさむ、あるいは大型連休の時は、場合によっては平日出発よりも2倍以上旅行代金が高く設定されている事があります。

 

なので父は、大型連休でない平日出発の安い日程で海外渡航を申し込み、両親が学校側にどう伝えていたか分かりませんが(笑)平日でも大型連休を取って家族旅行をしていました。父は「学校の権威」よりも「経費削減」「家族との思い出」を優先させたのです。

 

もし私が「学校は必ず行かなければならないものだ」という固定概念の家庭に生まれ育っていたら、きっと深い固定概念の中において「ルール通り人間」に育っていたでしょうけれども。父が常に「臨機応変」であって「経営者目線」の言動を繰り返した結果、今の私があるのだと思います。結論、みんなと同じ事をしていたら人生損をするという事なのではないでしょうか。

 

人生、人と違う何かをするからこそ
何らかの利益が得られるのです

彼氏、夫としての責任

全国的な「オーディション」を行えば、素晴らしい「彼氏」「夫」に巡り合えるでしょう。しかし、恋愛にオーディションなどありませんから、自分の身近な人間関係や、現代であればインターネットの出会い系サイトなど、どうしても「限られた人間関係」の中で通常であれば「交際相手」を見つけなければなりません。

悲劇的な現実を言えば「違う人と一緒になったらもっと幸せだったのに」という関係性は、世界中どこにでも溢れています。だからこそ「彼氏・夫」として責任は重大なのです。勿論、多様性の時代ですので様々な表現が別にあるかとは存じますが、この投稿では分かりやすく、先の表現で書かせて頂きます。

 

私が小学校くらいの時、父は私に「パパはママを幸せにすると、おじいちゃんと、おばあちゃんの前で約束して結婚をしたんだ。だからその約束を守って、絶対にママの事を幸せにする。」と、ストレートな表現で子供である私にダイレクトに伝えました。これは「夫」というカテゴリーが如何に尊く重責であるかという事を知る最初のタイミングでした。

 

現在の私も父の決意を継承しています。家族や家族に準ずる親しい関係性の皆さんには、常に笑顔でいてもらえるように、日々深い戒めの内に常にありつつ、重責を履行していっています。少なからず「星川さんより良い人が他にいたわ」なんて言われない様に。そして身内だけでなく、国や国民生活、国際社会における平和への想いが日々深まるばかりなのです。

なぜ願わないのか

人は自分の幸せ、家族の幸せ、仲間の幸せをよく願いますが、なぜ国の幸せを願う人が少ないのでしょうか。そして「国の為」と表現だけ美してくて、結果、自己満足の世界で満足して終わる組織も多い。

f:id:masashihoshikawa:20221126045539j:image

愛国心なき日本の未来は今
私達の手に委ねられたというのに

褒められるという事は孝行だ

人から褒められるという事は、大変有難い事でありますし嬉しい事です。しかし、私のこの「嬉しい」という感情は自分自身に向けられるものではなく、私自身が褒められるという事は、親をはじめとする、今まで私を育てて下さった皆さんの「教育方針(功績)・教育過程・人格等々」が褒められていると考えらえるからです。つまり人から褒められるという事は、大きな孝行であるという事が分かります。

逆に言ってしまえば社会通念上、良からぬ言動をする事があるとするならば、それは育てて下さった皆さんの名誉を傷つける裏切り行為であり、良心ある言動を行うという事、つまり生きるという事は、関わって下さった皆さんの名誉も同時に背負っているという自覚を持つ事が大切と考えます。