個性を大切にしたい

皆さんは非常に礼儀正しいですし、私の気分を害する様な言動は一切なさらない。特に公の場では皆さん「決められたセリフ」を話し「決められた作法」で私に対応して下さる。しかし、そうなってくると何が残念かと言えば、皆さんの「個性」に触れる機会が激減してしまうという事です。礼儀正しさとは個性を犠牲にして作り上げられるものですから。

ですので、私は出来るだけ「相手の個性が十分に発揮出来る様にと」人とお会いする時は心がけています。やはり一番大切なのは「威圧的」に感じられない工夫、そしてどんな場所でも「自分らしさ」を消さずに楽しめる空間をご提供申し上げる事。

 

残念ながら、世の中には「威圧的」な偉そうな方っていらっしゃるでしょう。そうすると相手は委縮して、言いたい事が言えなくなり「心と心のコミュニケーション」が難しくなる。でも威圧的態度を取る方の多くは、自らへの劣等感から「自分が相手よりも優位に立ちたい」という承認欲求からくるものだと私は考えています。それは実に残念な事です。

 

しかし私は国や社会や皆さんに尽くし仕える人間の一人であって、決して偉くもないし、人よりも高位な場所で生活をしている訳ではありません。常に苦節を皆さんと共に過ごし、出来るだけ皆さんの尊い個性と共に歩んでいきたいと思っています。

日本は50年以上も最下位

先進国の中で、日本は半世紀以上に渡って「労働生産性が最下位」になっています。そして、驚くべきことに2002年にはオックスフォード英語辞典に「Karoshi (過労死)」が記載されました。簡単に言えば「過労死」が英単語になってしまったのです。

日本中のSNSを見ていても「職場環境」「生活環境」に対する不満投稿が多いですね。ただSNSで不満が爆発しているという事は、職場においては「どんな努力」をしても改善されない日本の前例主義を象徴している現象だとも考えられます。

 

やはり優秀な人間は「労働生産性」が高い人間です。つまり1時間当たり「いくら稼げているか」という事を常に意識しながら「働く」という事。もっと言ってしまえば「働かない人間ほど優秀である」と表現が出来ます。

 

そして私達が忘れてならないのは「根性論」で戦争に負けて、次は「根性論」で経済的も世界に負けてしまつていいのかという事です。今の日本社会にとって大切な事は「強い経済」を取り戻す事です。その為に「労働生産性の向上」は日本にとっての最大の課題と言っても過言ではないのではないでしょうか。

 

私は次世代の子供達が「苦しむ姿」を見たくございません。やはり次世代には「立派な国を残してくれてありがとう」という気持ちを持ってもらえるような、立派な国を残し伝えていきたいと考えています。

エコノミークラスのバイト代

海外出張が多い私にとって「飛行機」とは体の一部の様な存在です。飛行機に乗らない「月」など私の人生において今の所なさそうです。勿論、自腹ではなく仕事で、世界中のエアラインの「ビジネスクラス」「ファーストクラス」に乗せて頂きましたし、皆さんからも「乗ってみたい」というご意見も多い訳ですね。

ただ「個人旅行」として、ビジ、ファーストに搭乗してしまうと「飛行機代」が往復するだけで、人の「年収」くらい払わなければならないなんて事も多々あります。その一方で混雑している時のエコノミークラスは「地獄」と表現する方もいます。でも私はポジティブに考えて「エコノミークラス」に乗れば時給が発生していると考える事も出来ます。

例えばロンドン往復、ビジネスクラスで「1,139,640円」そしてファーストクラス往復で「3,541,640円」経費としてかかってしまいますね。でもエコノミークラスなら今なら130,000円~200,000円くらいで搭乗する事が出来ます。数十万、数百万円単位で節約が出来てしまう訳ですよね。

つまり私はエコノミークラスとは「ガマン料金支給型、特別割引シート」って脳内では考えてほしいと、私のツアーに参加される皆様にはお伝えをしています(笑)その節約できたお金で、別の事を充実させていけば宜しいのではないでしょうか。エコノミークラスに乗る時はガマンという「バイト代」が発生しているのだと思えば笑いながらエコノミークラスに乗る事が出来ると思います。

弁護士に勝つ交渉術

私は皆様から「相談」を受ける機会が多い人間ですから「相談者を保護」する義務が生じます。特にファイナンシャルプランナーとして現場で活躍していた頃は、凄まじい件数の「事件」と遭遇してきました。そうなりますと「警察」「弁護士」「裁判」などは日常茶飯事で身の回りで展開されていき、今では何が起きても「驚かない」性格になりました。

そんな中で、弁護士資格が無い私が、相手側の弁護士と戦わなければならないという場面にも、よく遭遇する訳ですね。でも私には「文章力」がありますから、相手がどんなに「弁護士」の看板を悪用して戦いを挑んできても焦る必要はありません。弁護士は原則として「稼げれば」それで満足するからです。

例えば離婚の話をしましょう。財産分与において、あなたは別れる予定の夫から「別荘不動産」だけは譲って欲しいと思ったとしても、それを口にしてはいけないのです。なぜなら「別荘不動産」を譲る事が条件での離婚だなんていってもうまくいかないからです。

こういった場合、相手に色々と「条件追加」をする事が大切です。例えば「別荘不動産」「慰謝料」「車」「自宅の土地半分の権利」「〇〇」「〇〇」と大量に請求内容を増やしておき、交渉を長引かせる事がコツです。とにかく「もめて」「もめて」「もめて」相手を疲れさせ、弁護士費用を膨大にかけさせた所で「じゃあ別荘不動産だけでいいです」と最後に一言いえば、相手は「あぁ、これで終わってくれるなら」といとも簡単に譲ってくれます。

これぐらいもめていれば「別荘不動産」だけでなく「登記費用等」も相手方払わせる事も容易い事でしょう。これで、当方も大きな利益を得られますし、相手側弁護士だって儲かる。相手側弁護士だって「儲かる内容」「早く終わらせられる」と知れば、自ずと示談に持ち込む暗示を、相手側にかけてくれるようになります。

こんな事からも「心理学」という分野はよく学んでおくと、相手の行動心理を会っていなくてもいとも簡単つかむ事が出来るので、人生は冒険の様に楽しむ事が出来ます。これが「空気が読める人」を極めた段階とも言えるでしょう。勿論、交渉とは悪い事だけでなく、良い事でも行われますが、私達は絶対に「負け戦」にならないように段取りを日々、組み続ける事がとても大切と思います。

弁護士に勝つ交渉術

私は皆様から「相談」を受ける機会が多い人間ですから「相談者を保護」する義務が生じます。特にファイナンシャルプランナーとして現場で活躍していた頃は、凄まじい件数の「事件」と遭遇してきました。そうなりますと「警察」「弁護士」「裁判」などは日常茶飯事で身の回りで展開されていき、今では何が起きても「驚かない」性格になりました。

そんな中で、弁護士資格が無い私が、相手側の弁護士と戦わなければならないという場面にも、よく遭遇する訳ですね。でも私には「文章力」がありますから、相手がどんなに「弁護士」の看板を悪用して戦いを挑んできても焦る必要はありません。弁護士は原則として「稼げれば」それで満足するからです。

例えば離婚の話をしましょう。財産分与において、あなたは別れる予定の夫から「別荘不動産」だけは譲って欲しいと思ったとしても、それを口にしてはいけないのです。なぜなら「別荘不動産」を譲る事が条件での離婚だなんていってもうまくいかないからです。

こういった場合、相手に色々と「条件追加」をする事が大切です。例えば「別荘不動産」「慰謝料」「車」「自宅の土地半分の権利」「〇〇」「〇〇」と大量に請求内容を増やしておき、交渉を長引かせる事がコツです。とにかく「もめて」「もめて」「もめて」相手を疲れさせ、弁護士費用を膨大にかけさせた所で「じゃあ別荘不動産だけでいいです」と最後に一言いえば、相手は「あぁ、これで終わってくれるなら」といとも簡単に譲ってくれます。

これぐらいもめていれば「別荘不動産」だけでなく「登記費用等」も相手方払わせる事も容易い事でしょう。これで、当方も大きな利益を得られますし、相手側弁護士だって儲かる。相手側弁護士だって「儲かる内容」「早く終わらせられる」と知れば、自ずと示談に持ち込む暗示を、相手側にかけてくれるようになります。

こんな事からも「心理学」という分野はよく学んでおくと、相手の行動心理を会っていなくてもいとも簡単つかむ事が出来るので、人生は冒険の様に楽しむ事が出来ます。これが「空気が読める人」を極めた段階とも言えるでしょう。勿論、交渉とは悪い事だけでなく、良い事でも行われますが、私達は絶対に「負け戦」にならないように段取りを日々、組み続ける事がとても大切と思います。

自主性を失わせる教育

赤ん坊は「大泣き」をします。これは大人の指示も無しに「自主的」に大泣きをするのであって、泣く時は必死に泣き、食べる時も必死に食べます。この事からも分かる様に、人は「自主的」に何かをしようとする時は何でも一生懸命取り組むものです。

しかし大人や教育者は、この子供達の「自主性」を次々とはく奪していきます。まずは「静かにしなさい」「おとなしくしてなさい」からはじまり次第に「勉強をしなさい」「良い点数を取りなさい」「良い学校に入りなさい」「良い就職先を見つけなさい」など、次々と子供達に圧力をかけ「人生の多く」から自主性をはく奪していくのです。よって子供達は「嫌々勉強」をして「嫌々ルール」を守って「嫌々まわりの流れ」に沿って人生を歩んでいきます。

しかし人は「強制的」に何かをしなさいと言われても「心」から頑張れる訳がありません。故に、ここで大事になってくるのが奪われた「自主性」を復活させてあげる試みです。勉強というものを「自主的」にしたいと思わせる何かを子供達(いや大人になっても)にも、お与えしていかなければなりません。それが星川流の教育です。

例えば私のコラムを読んで、数多くの方々が「何かを学ばなきゃ」と思うはずです。この現象は私の文章を通して皆さんの「自主性」=「あかちゃんの時期の大泣き」と同じ現象を復活させている事を意味しています。つまり「勉強する事」=「自主性」=「必死になる」という流れが成立した時、人は大きく「楽しく」成長する事が出来るのです。

変わりゆく「教員」の言葉の重み

私が学生時代の頃までには「戦前生まれ」の先生方が本当に沢山いらっしゃいました。つまり戦前・戦中・戦後の混乱の時代を実際に「目の当たり」にしてきた人間が教員になれば自ずと「教員の言葉の重み」が違ってきます。今の教職員とはまったく教育に対する「着眼点」や「苦悩のベクトル」も違いますが、それらの中に私は失われつつある「教育の真髄」があるのではないかと私は感じています。

以前もコラムで書きましたが、私は高校1年次までは一般の教室に通い集団生活をしていましたが、2年・3年次は、両親と学校側と協議をして「個別教室」を特別に開設して頂き、その時間の殆どが老齢(ベテラン)教員による「マンツーマン教育」だったのです。戦後生まれの先生は誰一人、そのチームの中には含まれていませんでした。その中でも、その教室の責任者をして下さっていた先生は今でもお元気で、お手紙のやり取りをさせて頂いております。私が常に「恩師」と表現する先生です。

恩師は旧帝大の文学部で哲学を徹底的に学び、加えて数年に渡りドイツへ留学しました。恩師の時代に留学は本当に大変な事だったと思います。恩師の哲学書は皇室からの直接注文が入るほどの優作で、私は徹底的に高校時代「人」と「国」の在り方につて、哲学的・倫理的・かつ帝王学的な側面から様々な事を直接教えて頂きました。

 

私は今回の手紙では私は恩師にいくつか質問を送りました。その中には「何故、日本には民主主義が定着しなかったのか」「不登校やいじめが1980年代から急激に増えた理由は如何かと思うか」「ドイツでは続けられている戦争犯罪に関する裁判、日本では法により戦争犯罪人はいないと制定されている現実にどのような意見を持つか」など、私が「今のうちに聞いておきたかった」事を10項目に渡り手紙に書き綴りました。

 

手紙を書いていて、私が同時に思ったのは「今の学校の先生で、これらの質問に的確に即答出来る教員がどれくらいいるか」という危機感です。言うまでもなく恩師は7ページに渡り、びっしりと的確に答えを遺言書の如く書き綴って下さいました。聞けなくなる前に、しっかりと聞いておく。そしてその記録を後世に伝えていく。これが、私が出来る国への社会貢献一つ、そして子供達への大きな「遺品」であると考えています。

 

未だに先生は私が生徒時代に呼ばれていた「殿下」というニックネームで私を呼んで可愛がって下さいます。先生は「皇族の様なオーラを感じるし、一般の家庭を知らない世間知らずの側面もあるから」と理由で私を殿下と呼び始め、それが定着してしまいました。それが今でも封筒に書いて下さるのを拝見するに、先生がまだお元気でいらっしゃる事は私の活動の活力の一つであるという事を意味しており、心から感謝の気持ちに堪えないのであります。

ママあれに交換して!

私が初渡米したのは5歳か6歳くらいの時。勿論、今よりも海外渡航のハードルがメチャクチャ高くて、小学校卒業するまで、全学年の中で海外渡航経験がある児童は私1人だけでした。

f:id:masashihoshikawa:20230220075644j:image

母が「お友達の皆さんへのお土産はどうする?皆に渡すなら数が必要ね。どれを買う?」と聞かれたのを今でもよく覚えています。

f:id:masashihoshikawa:20230220075647j:image

私は父方も母方も祖父も父も、皆、経営者の家系だったので「コストカット」については物心付いた頃から自然に身に付けされられていました。

故に私は母の「数が必要」が「もの凄いお金がかりますよ」と幼いながらに聞こえてきて、少しでも安いグッツを探そうとしていました。大人になって思い返せば、幼いながらにも経費削減を自然と考えていたのでしょうね。

その時です。ちらっとレジ方を見たら店員さんが「1セント硬貨の束」をレジに大量補充している姿が目に入ってきて「ママ、あの安いお金を100個分交換して!日本のお友達みんな海外行った事ないから、外国のお金だよって渡すだけで喜んでくれるし、お金もかからないよ。」とお願いした事を今でもよく覚えています。

そしたら母がレジの方に交渉してくれて、大量の1セント硬貨の束に両替してくれて。それを帰国して友人達に渡したら、私の考え通り「外国のお金」ってだけで大喜びしてくれたのをよく覚えていますが、かかった経費は今思えば200円といった所でしょうか。

それでも200円で100人のお友達の笑顔に繋がったし、親にも経費をかけずに済んだ。この事は今でも忘れられない幼い時の記憶です。母自身はこの出来事を今でも覚えていてくれてるか気になる所です。

お金をかけて人を喜ばせる事は誰でもできる事。お金をかけなくても人を笑顔に出来る工夫が出来る人こそ、本当の笑顔の提供者となるのだと思います。

背負う十字架

私の人生は幸せな人生だったと、多くの人は何故か評価します。しかし私は周囲の方々を幸せに出来ていないという十字架を背負い続けています。しかしその自覚自体が私の生きる意味になっています。

f:id:masashihoshikawa:20230220001608j:image

資産運用はお任せするのが一番です

老後不安の解消の為の解決策の一つとして「確定拠出型年金」という制度があります。私もかつて最前線のファイナンシャルプランナーとして全国の自衛官のライフプラン作成のお手伝いをしてきましたが、現在はその他の活動が膨大な量となり、私の資産運用は専属の証券外務員の先生のお願いをしております。


日本では「自分で調べて」「自分で何かやる」事が美学と教えられますが、私は真逆で「人に任せられる勇気」を持ち「自分の至らなさを素直に認める事」はとっても美しい生き方だと感じています。


老後の他人に迷惑をかけない為にもと、毎月68,000円の積立なのが日常生活を「かなり圧迫」していますが、証券外務員の先生のおおよその見積もりで私が65歳になる頃には確定拠出型年金の部分だけで「約2億3千万円」の資産に落ち着く可能性が大きいとの分析を受けました。

これなら何とか老後は生活して
いけるのか…不安ですね…

世の中には「胡散臭いビジネス」「儲け話」がゴロゴロと落ちていますが、やはり資産運用は「王道」をいく事が大切と個人的には思います。そして人にお任せする勇気。私はすぐに、FPの先生、弁護士、税理士、なんでも「先生方」にお任せしてしまうタイプです。おさぼりをして申し訳ございません💦

誰にも出来ない責務を遂行したい

よく知人達は私に「それだけ雄弁なら、政治家や経営者になったらいいのに」と勧めてくる訳ですが。少子高齢化(人手不足)に加え、起業ハードルも下がりに下がった今日の日本社会において確かに「経営者」も「政治家」も簡単になれてしまう時代になりました。

確かに「経営者」「政治家」とカッコよくは聞こえますが、私はカッコ悪くても「星川雅」にしか出来ない事を責務として負う事を大切にしたいと思います。加えて「何かに忖度」する人生よりも、社会的に弱い立場にある方々の為に尽くしたいという志もあります。その為には、やはり「何かに属する」という事は私の人生において不可能な事と考えます。

自分のやりたい事をするのではない
皆様から求められる事を成し遂げたい

親切は自分に返ってくる

戦時中、食事にも苦労した祖父母の世代。今の子供達には絶対に分からない世界だったと思います。天皇の名を巧みに利用して、世の中のもの「すべてを日本軍に命まで捧げて」明日、命がある保証すらなかったあの時代。二度と繰り返してほしくないものです。


祖母の口癖は、お腹すいていない?でした。絶対に戦時中に自らが味わったひもじい思いを、子供達にはさせたくないという気持ちがひしひしと伝わってきました。親切心の塊のような人間でした。

いつの間にか、そんな祖母も晩年、高齢化の兆しが強くなり、身の回りのことも自分自身でできなくなってきました。でも私たちは、そんな祖母を温かく見守り、なんでも祖母にとり笑顔につながる環境を提供し続けました。

なぜなら皆んなが祖母には親切にしてもらったからです。親切にしてもらった人に、親切を返さない人はいません。だからこそ、この世の中誰にでも親切にしなければならないのです。

世の中には、親切でない人もいるかもしれません。皆さんから見て憎い思える人もいるかもしれません。しかし、よく考えてみてください。その人達の責任では無いかもしれません。

ただただ愛されず育ってきただけかもしれません。そういう人に出くわしたときは、けんえんするのではなく、深い愛情を持って接して差し上げてください。愛と言うものは何かと言うことをお伝えることが、世の中の親切の根本になるからです。

真に優しい大人とは、意味のある教育の上に成立する

これは一般的な話ではございますが「人物」から、その方が、どの様に育てられたかを予想する事は難しい事ではありません。そう言うまでもなく、人が大人になった姿とは、保護者(教育者)にとっては「子育ての成績表」そのものなのです。

そして世の中には「ただ優しい人」と「意味があって優しい人」の2つに分かれます。この2種類の「優しい人」詳細の説明は省かせて頂くにせよ、やはり「意味があって優しい人」に育て上げる事が、教育のある意味における「目標地点」とも考えられます。

 

例えば、我が家の教育の一例を挙げてみたいと思います。夏の高温多湿の中、大雨が降っているという状況下に親子が家を出ようとしています。今風の母親なら「早く雨止まないかな」とか「マジ、雨最悪だねぇ」などなど、自己都合の感想を述べて「(自分達にとって都合の悪い)悪天候」に対する不満を口にします。

 

しかし我が家には、そういった日常はありません。例えば私なら子供に「雨に濡れてお体を濡らさぬ様に、しっかりと傘をお持ちになって。こうやって雨が沢山降る事によって、大地が潤い、豊作に繋がり有難いですね。きっと農業に携わる皆さんもお喜びでいらっしゃる。雨に感謝しなければいけませんね。それとご自分の傘だけでなく、お母様が多く雨に濡れない様に、時折、見て、気配りなさってね。」と丁寧な敬語を交えて子供に声をかけます。

 

これは普段、私が周囲に伝えているほんの「一例文」にしかすぎませんが、小さい時から「自己中心的な世界」ではなく「自然」「国」「社会」「他者」があってこその「自分」であるという認識を、しっかりと身に着ける事により「意味のある優しい人間」に育っていきます。つまり「無私」「公正」「誠実」な人格を作り上げていく事が大切なのです。

 

それに「汚い言葉使い」は大人になってからいくらでも身に付きますが「美しい日本語」は、大人になってから、どんなに学んだとして「ネイティブ」にはなれません。上品さを装っても「演技しているな」という事が直ぐに分かってしまいます。故に教育者は「日々使う日本語」にも大きな気配りが必要なのです。

ハワイには尊い思い出が

以前のコラムでも書いたかと思いますが、私は毎年2ヶ月ほどハワイに滞在する事が通例になっています。なので年々変化する、ハワイの微妙な変化に感じる機会も多いように感じます。特にコロナと言う未曾有の危機の中、ハワイ州も力強く乗り切った事を感慨深く感じます。

そんな中で先日、ハワイの某ホテルのチェックインカウンターで泣き崩れてる若いお嬢さんがいました。これからチェックインをし、ハワイ滞在を楽しむ矢先なのにも関わらず、なぜ彼女は泣いているのか。
 私はどうしても気になって、後でチェックインカウンターの方に理由を聞いてみたんですね。そしたら、いつも一緒にハワイに来ていた家族が、去年亡くなられたらしくて。
チェックインカウンターの方は、彼女の名前と顔をしっかりと覚えていて、いつもは4人で来ていたので、今年は1人少なく3人でチェックインだったものですから「どうしたのか?」と気を遣って聞いたらしいんです。
そしたら家族がなくなったと言う話を聞いて、チェックインカウンターの女性と、その当事者である彼女が、抱き合いながら号泣していました。
その姿を見て、私はハワイという素敵な空間には、どれだけの「思い出」と「青春」が残されれているのか、そしてハワイを愛し続けた方々の心の中に沢山の素晴らしい記憶が大切に記録されているのではないかと、しんみりと感じてしまいました。
私が初めて渡米してから30年以上が経過し、かつて一緒に渡米していた、祖父母も亡くなり、両親も徐々に旅に行く体力と気力が何年、弱まっている様に感じます。
晩年の祖母に「ハワイに行きませんか?」と声をかけたら「私がハワイ渡航を今したら、荷物を運ばせたり、私の歩くペースにみんなが合わせたり、いろいろな方々にご迷惑がかかるから」と、かつて旅先で見せていた活力が無くなっている事に心寂しさを感じました。
ただ、私が心から父に感謝したい事は、一生懸命働いて、そして多忙な経営者と言う立場、加えてなかなか休みが取れないという環境の中で、親子3代での海外渡航を企画し実現してくれた事です。あの思い出の数々は一生私の心を支えていく事でしょう。
かつての思い出の写真に写る私の大切な人達は、年を追うごとに1人、また1人と、天国に旅立って行きます。だからこそ私自身も体が動かなくなる前に、今いる大切な人との思い出を、しっかりと作っておきたいと思います。
祖母は晩年「歳を重ねて身体の自由がきかなくなってから旅に行くのは本当に大変。体元気な若いうちに、色々な所に行っておきなさいね」と遺言を残しました。確かに仕事と言う側面が大きいのですが、それでも祖母が言ってくれたアドバイスを今でも大切にしています。

劣等感を子供に与えない

私は小さい時から大人達から「称賛の言葉」しかかけられた経験がありません。主だって「可愛いね」「おりこうさんだね」「優秀だね」「天才だね」という言葉ばかりです。父はそれに「天狗」にならない様にと「謙虚さの姿勢」について特に厳しく教育をしました。

なので私自身は自らに「劣等感」を1ミリも感じずに大人になりました。よって「教室のカースト制度」や「親ガチャ」なんて言葉も、私は知りませんでしたし私には無縁の存在(単語)でした。大人達はみんな「私の存在」を認めて「私らしさ」を失わせない様に努力して教育をしてくれたのだと思います。

劣等感が無いという事は「野心」も自ずと心から消えていくものです。例えば「昇進してやる」とか「経営者になってやる」とか「金持ちになってやる」とか「仲間や社会を見返してやる」なんて事は、一度も考えた事もありません。

それに代わって生まれ来る感情は「皆さんからが認めて頂いた分、それ以上に他者を認め、尊敬の気持ちを忘れず、育ててくれた世界や社会に何か貢献をしたい」という奉仕の気持ちです。つまり恩返しではなく「恩送り」の精神です。

子供は愛されたら、自然と愛し方も学びます。逆に、子供に劣等感を持たせてしまったら、人を愛するどころか、自己中心的な保守的な人間に育ってしまいます。それを阻止する為に必要な事は「とことん認めて愛情を注ぐ事」であると私は考えます。