英語が苦手な日本人

世界的にも有名とも言えますし、自他共に認める「日本人の英語力の低さ問題」ですが、これは100%恥じるべき事かと言えば、そうでもない様にも感じます。例えばフィリピンやマレーシア、シンガポールなどでは、学校の授業が英語で行われます。しかし、それは何故かと言えば「英単語」に対して「適切な母国語」が無い為に、英語で授業をしてしまった方が都合が良いからとされています。

例えば「photosynthesis」や「Chromosome」といった英単語を、フィリピンの言葉に翻訳しようとしても、フィリピンの言葉には存在していない単語に値します。しかし日本の場合、明治時代の先生方の努力によって、英単語のほぼ全てを日本語で表現出来るように「新しい言葉を作り出す」努力をしました。

例えば「経済」「競争」「討論」「演説」「健康」「自由」「分析」「鉄道」などの単語は、明治時代までにはなかった日本語です。英語が国内に入り込んできた事を切掛けに、新しく作り上げられた日本語の一例です。でも皆さん、どの単語も日常生活上必要不可欠な単語たちではないでしょうか?

海外の一部の国々では「英語が話せないと高等教育を受けられない」というケースが多いのですが、日本は独自の文化と言葉を駆使する事が出来たので、英語が話せなくても努力さえすれば「皆が平等に高等教育」を受ける事が出来るという国になりました。その結果、大きな敗戦を体験はしたものの、有色人種の中で最初の先進国となれたのかもしれません。

日本人は、もともと文字を持たない民族でした。しかし中国から漢字を輸入して、独自にアレンジをして、今では日本で作られた漢字の組み合わせが中国に逆輸入されています。因みに漢字の生みの親である中国を例に上げてみましょう。「中華人民共和国」という国名の中の「人民」と「共和」という漢字の組み合わせは日本人の手によって作り出されたものである事を皆さんはご存じでしょうか。

英語で言えば「people」と「republic」という単語を日本語には訳せなかったので、日本人が「人民」と「共和」という新しい言葉を作り出して、それが中国でも採用された、そんな歴史背景もあるのです。さて、このような器用な技術や思考を持ち合わせている私達日本人は、今、外交上や国内外における諸問題に対して、どのような決断をし、履行していくのか。特に深刻化しているコロナや領土の問題について…

明治の人達の努力により令和の人々は助けられています。それでは令和の人々の何の努力が、100年後の世代や時代の支えになるのでしょうか。そういった事を考え始めると、私は「まだまだやるべき事」が沢山あって、死ぬに死にきれない。立ち止まっている時間もない。そう感じる毎日です。人々が安定を選べば国は滅びます。やはり1歩生み出す勇気が、この国の活性化の源泉になるのではないかなと私は信じて疑いません。

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