仕事の出来ない人の気持ち

私が金融機関に勤務していた頃、上司が「星川君の唯一の欠点は、仕事の出来ない人間の気持ちが分からない事だ」と周囲に言っていたそうです。その話を後輩から聞いて「分からない訳ではなくて、私は仕事のネイティブだから仕事が出来て当然なだけだと思います」という事を後輩にも説明をした記憶があります。

この「仕事のネイティブ」とは何かという話ですが。例えば子供の時から、ずっと英語を話していたら、大人になっても自然と英語が話せる様になりますでしょう。でも皆さん、ネイティブの人に対して「英語がお上手ですね」なんて失礼な事は申し上げないでしょう。これとまったく同じ原理です。

私の父は経営者でした。そういった環境下で、父は、私が小さい時から事あるごとに会社に、いつも私を連れて行ってくれて、大人達や取引先様、そして数多くのお客様と直接、会わせてくれていました。父は「大人の話や世界に子供が顔をつっこむな」という事を言うタイプではなく、世の中の綺麗な部分も残念な部分も包み隠さず、実体験として教えてくれていたのです。

つまり私にとっての「社会人デビュー」は「物心が付いた瞬間」からであり、自然と「対人スキル」や「要領よく組織を運営する」という事を語学の如く、身に着ける事が出来ていました。故に私は「仕事が出来ますね」とか「優秀ですね」とか「凄いですね」と言われる事に、昔から違和感を持つほどでした。

私が、仕事が人より出来る事は当然の事です。何故なら「仕事のネイティブ」だから。故に、上司が「仕事の出来ない人間」と表している方々は、ただ単に、社会人デビューのタイミングが遅く、例えば学校卒業後ですとか、所謂、頭がある程度硬くなった状態から始めるから、ご苦労をなさるだけなのだと私は思います。

故に私は子供達に「仕事人(社会人)としてのネイティブ」になってもらいたいと常日頃思っていますし、父が私にしてくれた子育ての工夫を、そのまま継承をしてあげたいと思って今日までやって参りました。結論、子供が人生で苦労をするかしないかは「育てた大人の質」に関わってくるのかと思います。皆さんは子供達が大きくなった時に、子供が苦労をしている姿を見たいでしょうか。全ては「工夫」から、幸せは生まれるものなのです。

追伸、皆さん「土用の丑の日」はウナギはお召し上がりになりましたか。私どもは経費削減の観点から正規料金で購入する事は出来ませんでしたが、運よく「半額セール」に遭遇する事が出来ました。皆様、暑さに負けない様にお過し下さい。