元学校長からの突然の電話

 
昨日、急に私の携帯電話が鳴りました。私の携帯電話を知っているのは、本当に限られた方々ばかりで。携帯が鳴る事自体が非常に珍しい事です。着信を見ると高校時代の校長先生からの電話でした。高校時代の校長先生ですから、高齢になられていたものの、非常にお元気そうで。先日「パーティー」があったらしく私が出張で出席できなかった事を気にかけて下さっていたようで「記念品を贈るから念のため住所を教えてほしい。元気にしているか。」という非常に親切な電話内容でした。

でも普通に考えて「なんで元学校長から、一生徒だった星川に個別に電話がかかってくるのか」と不思議に思われる方が大半だと思いますが、私は高校時代から「普通の生徒」としての動きはしていなかったから、というのが答えだと思います。

私が高校一年生の時の話。元校長先生は開かれた学校を目指し、全体集会の時に「何かあれば、校長室に直接来て生徒達の声を聞かせてほしい。」と言って下さって。でも普通の高校生は、そんな事を言われても「校長室に行こう」だなんて思わない訳ですよね。担任の先生方も「校長室に直接行く事は、ちょっと遠慮してほしいな」といった感じだったと私は記憶しています。

しかし私は遠慮なく校長室に何度も足を運びました(笑)その内に、休日には校長先生のご自宅に招いて頂くようになり、美味しい料理屋さんに連れて行って頂いたり、ゴルフを教えて頂いたり。本当に可愛がって頂いて。同期と一緒にいるよりかは、校長先生との60分の会話の方が、未来に繋がる「ヒント」が沢山隠されていた様な気がします。

学校という組織が強制的に作った「同期」「同級生」と会話する事は簡単な事です。そして、とても盛り上がりますし、楽しい時間になります。しかし人は生まれた瞬間から死ぬ事が決まっていて、時間には限りがあります。その尊い時間をどの様に使ってきたか、誰と共に過ごしてきたかによって「未来」は大きく左右され、正当性、かつ生産性ある社会貢献に繋げられるかどうか、挙句の果てには生涯年収までも変わってくるのです。組織に作られた人脈、自分で広げていった人脈。その違いは大きいものがあります。

さて先日までの渡米で使用していたお部屋の写真です。私は経費削減の観点から、海外訪問時も極力「外食」は避けています。特に米国では物価が急激に上がり、それに加えて強烈な円安ですから。経費のコントロールはとても大切です。炊飯器が無い代わりに、お鍋でお米を炊くのですが、とっても「ほくほく」「もちもち」していて美味しんですよ。カーテンを閉めると、巨大スクリーンになり映画も楽しめるお部屋でした。