私が学校訪問を続ける意味

学校訪問を致しますと教職員の方々からも色々なお声がけを頂く事がございますが。とりわけ私が今までで深く印象に残っている教員からの感想は「星川先生の講話を聞かずして子供達が大人になり社会に出ていく事を考えると、ある意味の恐怖感を感じます。」という趣旨のものでした。実は、この事は私自身も深く案じている事でもございます。

教員になったり、親になったり、昇進したりして「育てらえる側」から「育てる側」に立場が逆転すると人は誰でも「困惑」するものです。そして「教育の根本」というものを大人達は見失いがちです。何故教育に「巨額の経費」をかけるのか。そして教育の「目的」は何なのかが分からないまま時ばかりが過ぎる。そんな事も多々あるのではないでしょうか。

 

実は学校訪問に伴う私の講話は「子供達」に向けてだけではなく「先生方」に向けてのメッセージ(応援)という要素も強いのが事実です。教育とは「自己満足」の世界に入り込む事がゴールではございません。大人達が子供達の事を「国や世界の宝」であるという認識を強く持ちつつ、自らの所有物化し、自らのカラーに染める事があってはならないのです。

 

授業中、生徒が寝るのは生徒の質が悪いのでしょうか。いいえ、授業の質が悪いから生徒は寝るのです。生徒が言う事をきかないのは生徒の質が悪いのでしょうか。いいえ、伝える側の言葉に重みがないから「生徒の心」に言葉が届かないのです。結局、教育とは「変なプライド」によって成立するものではなく「深い愛情」によって成立するもの。若い時から「先生、先生」と呼ばれ続けて大切な何かを見失ってはいないでしょうか。