自主性を失わせる教育

赤ん坊は「大泣き」をします。これは大人の指示も無しに「自主的」に大泣きをするのであって、泣く時は必死に泣き、食べる時も必死に食べます。この事からも分かる様に、人は「自主的」に何かをしようとする時は何でも一生懸命取り組むものです。

しかし大人や教育者は、この子供達の「自主性」を次々とはく奪していきます。まずは「静かにしなさい」「おとなしくしてなさい」からはじまり次第に「勉強をしなさい」「良い点数を取りなさい」「良い学校に入りなさい」「良い就職先を見つけなさい」など、次々と子供達に圧力をかけ「人生の多く」から自主性をはく奪していくのです。よって子供達は「嫌々勉強」をして「嫌々ルール」を守って「嫌々まわりの流れ」に沿って人生を歩んでいきます。

しかし人は「強制的」に何かをしなさいと言われても「心」から頑張れる訳がありません。故に、ここで大事になってくるのが奪われた「自主性」を復活させてあげる試みです。勉強というものを「自主的」にしたいと思わせる何かを子供達(いや大人になっても)にも、お与えしていかなければなりません。それが星川流の教育です。

例えば私のコラムを読んで、数多くの方々が「何かを学ばなきゃ」と思うはずです。この現象は私の文章を通して皆さんの「自主性」=「あかちゃんの時期の大泣き」と同じ現象を復活させている事を意味しています。つまり「勉強する事」=「自主性」=「必死になる」という流れが成立した時、人は大きく「楽しく」成長する事が出来るのです。