軍人は立派だった

我が国では昭和史における日本軍は「闇歴史」だと教えられます。確かにその文字の通りの非人道的な言動があった事も事実ですが「組織」ではなく「個人」に焦点を合わせた時に、実に立派で優れた人格の持ち主であった軍人もいました。沖縄県訪問に際して、私は必ず沖縄戦の各慰霊碑を訪問して戦陣に散り、戦禍に倒れた数多くの人に想いを致しております。 

f:id:masashihoshikawa:20210509055027j:plain今回も防衛大学校OB、そして高等工科学校OBを慰霊碑にお連れして、あの悲惨な沖縄戦について語りました。自衛隊でも「沖縄研修」はあるのですが、私がお話をするのは「どう戦ったか」ではなく「一般市民がどのような苦難を強いられた」という事に焦点を合わせてお話をするので、よりリアルであり「戦略」ではなく「人情」を通して、沖縄戦の悲惨さを語っています。

f:id:masashihoshikawa:20210509055041j:plain現役の自衛官も参加していましたから「理不尽で意味の無い命令に対して、どう縦社会の中で向き合う事が正解なのか」という事を考えさせられたではないでしょうか。軍人の中には「最後の1兵になるまで戦え」と命令を下した者もいれば、逆に「沖縄県民は日本軍の為に必死に協力をしてくれたのに、我々は沖縄県民を守ってあげられなかった。どうか後世に渡って沖縄県民には格別なご配慮をお願いしたい。」と語って亡くなった指揮官もいました。

f:id:masashihoshikawa:20210509055053j:plain人は自分の事でいっぱいになると、自責ではなく他責を主張したり、人の事を考えられなくなったり、視野が狭くなったりしますが。自分自身が極限状態にある中で、自分の軍の至らなさ、そしてお詫び、また沖縄県民の未来の事までも考えられるような、立派な軍人もいた事を私達は忘れてはならないと思います。現代社会において、自ら、あるいは自らの組織の至らなさを全て素直に認めて謝れる指揮官がいるでしょうか?

f:id:masashihoshikawa:20210509055112j:plain私は戦後、様々な階級の方々の「スピーチ」を聞き続けてきましたが、やはり「戦争で実際に戦った人」が発言する内容と「戦争を知らない世代」が発信する内容は、話の深みに違いがあると私は感じています。戦とは「教科書」あるいは「映像上」の出来事になりつつある今日において、私達がどの様に戦争を向かい合っていく事があるべき姿なのでしょうか。今回、私の慰霊の旅に同行して下さった各OBの方に、戦争の本質が少しでも伝わればと思っています。

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