成果は部下に、失敗は自らに

私は「部下」という言葉が嫌いです。部下という言葉は、決して不適切な日本語ではなく常用言葉の一つなのですが、私にはどうしても「人を見下している」日本語に聞こえてしまいます。なので、私がサラリーマン時代は「会社の後輩です」とか「一緒にお仕事をさせて頂いております」という風な形で所謂「部下」と言う言葉を使わずに過ごしてきました。私は「自分が人よりも優位だ、上にいる」という表現に最後まで馴染む事が出来ませんでした。

f:id:masashihoshikawa:20200927183556j:plain私がサラリーマンだった時代に大切にしていた事はいくつかありますが、その一つに「自らの成果は全て部下の功績にし、そして部下の失敗は全て自分自身が責任を負う」というものでした。組織とはチームですし、自分一人の力で運営出来るものではありません。ただ多くのチームでは「裏方」ではなく「代表者(権力者)」ばかりが褒め称えられたり、表彰されたりするでしょう。それでは本当に頑張っている方に申し訳ないと思うからです。

f:id:masashihoshikawa:20200927183611j:plainそれに「部下の失敗」は完全の自らの人徳の無さ。人生の「通知表」みたいなものですから、部下に改善を要求する前に、まずは自らが全責任を負って、部下が更なる責任追及に晒されないように努力するが上司の務めと私は思っています。だからこそ「全責任は私自身にありまます」という言葉を私は何度使ったか分かりません。 

f:id:masashihoshikawa:20200927183652j:plainただ世の中には残念な上司が多いですね。部下の成果を自らの成果にして力のある人間を演じる人もいれば、何か不祥事があれば全て部下の責任にして権力を保持しようと工作したりする人もいる。まったく、そんな世界では良い人財は去っていきますし、新しい良き人財も集まってきません、公正、無死、誠実を常に貫いて、いつの間にか上司である自分自身が裏方に回っていかなければ、次世代も育っていかないでしょう。

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命のバトンが存在する様に、組織にも「権限委譲」というバトンが存在しています。この権限委譲が職位や経験年数に関係なく「出来る人」に対して速やかに行われやすい、誰かの裁可や昇進を待たずしても出来るような環境、システムを作らないと組織は活性化しないでしょう。そうゆう組織が日本中に溢れるような未来を私は常に希望して止まないのであります。

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